指導例紹介
これまでに指導してきた生徒が、どのようにして成長したのかをご紹介します。
指導前の生徒の状況は様々であり、絶対的に正しい指導を見つけることは困難です。
そんな中でも、これまでの指導経験を活かして、最適だと思うやり方を提案してきました。
これからも、その子に合った、効果的な指導を心がけていきます。
*写真は、ご家庭の了承をいただいたもののみ掲載しています
①Rくん
<指導前の状況>
中1の1学期の中間テスト・期末テストが240~260点ほどとふるわず、
本人は勉強のやり方が分からずに苦しんでいた。
保護者は今後の中学校生活のことを心配し、家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
中1 7月 ~ 中3 卒業
<成績の変化>
240点 → 430点
<進学先>
福岡高校
<指導内容>
数学で一番初めに学ぶ正負の計算のところでつまずいていて、
その後に学ぶ方程式の計算も分からなかった。
また、数学が引き金になってパニックになり、
家では他の教科の勉強も手がつかない状態だった。
夏休み中に数学を重点的に指導し、
2学期中間テストで、数学の成績は「30点→60点」に改善した。
本人は勉強に対する手応えをつかみ、さらなる向上心を見せたため、
「定期テストごとに、どれか1つの教科を10~20点ずつ伸ばしていく」
という指導方針をとる。
指導内容をしっかり受け止めてくれたため、
本人にとって無理なく成績を上げていくことに成功した。
その結果、「1年生末には300点、2年生末には380点、3年生末には430点」になった。
3年2学期通知表の評定合計は「41」だったため、
高岡高校の受験も視野にいれていた。
しかし、受験前の実力テストの成績はやや目標に達していなかった。
さらに保護者は、高岡高校の勉強に本人がついていけるか心配したため、
比較的通いやすい福岡高校を受験し、無事合格した。
<感想>
本人は真面目な性格だったため、
それがかえって、勉強が分からないことに対する焦りを生んでいるようでした。
中学校の勉強に対する不安を克服した後は、
自信を持って勉強に取り組んでいたように思います。
特に2年生の途中からは、私の想定以上の点数をとるようになりました。
その理由は、友達や学校の先生に、分からないところを自分から聞くようになったからです。
子供の成長が目に見えるものだったため、私としても学ぶものが多かったです。
本人は高校生になってからも勉学に励み、現在は金沢大学で学んでいます。
②Kさん
<指導前の状況>
国立大学に進学したいと考えていたものの、模試の判定はD~Eだった。
塾に通った効果が見られなかったため、
家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
高2 3月 ~ 高3 卒業
<成績の変化>
マークテスト(900点満点) 440点 → 580点
<進学先>
富山大学
<指導内容>
本人は福岡高校に通っており、進学校の勉強に疲弊しきっている様子だった。
当初のマークテストの主要3教科の点数は国語90点、数学60点、英語90点で、
最低でも6割以上の点数をとりたい中では厳しい状況だった。
保護者からは数学の指導を依頼されたが、
センター試験まで残り10カ月の状況で、主要3教科を全て勉強することは困難であるため、
国語と英語の指導を優先した。
本人に学校の課題に極力手を付けないようにしてもらった。
そうして心の余裕を作ってもらい、私の課題に専念してもらった。
センター試験においては、現代文と漢文は勉強しやすい科目であり、
それぞれ1か月の学習で成績を向上させることができた(得点率7~8割に向上)。
また、英語は3ヶ月の学習期間で基本単語と基本文法を勉強し、
さらに、問題の解き方を工夫することで成績を向上させることができた(得点率が7割に向上)。
英語は2次試験の科目でもあったため、読解力の向上に重点をおいて指導した。
数学をほとんど勉強しない代わりに、社会や理科の勉強に力を入れてもらった。
センター試験本番の主要3教科の結果は、
国語140点、数学90点、英語140点であり、
理科・社会も含めた合計点数は580点だった。
予備校による判定がC判定の状況で富山大学を受験し、無事合格した。
<感想>
運動部に所属していて普段は明るい子でした。
ただ、学校の勉強が分からなくなっていて進路が見えず、
親子の関係はギクシャクした状態でした。
保護者からは、苦手教科である数学の指導を強く依頼されました。
しかし、現在の受験システムをご説明したうえで、
その依頼とは違うやり方で成績向上に取り組みました。
無事合格につながって良かったと思っています。
また、運動部の生徒にしばしば見られることなのですが、
夏休み中の集中力には目を見張るものがありました。
本人は学校の先生になることを目指して勉学に励んでいます。
③Mくん
<指導前の状況>
小学校高学年の頃から勉強が分からなくなり、勉強が大嫌いになっていた。
以前に別の家庭教師を2人呼んだことがあったものの、効果は見られず、
教師交代で私が指導することになった。
<指導期間>
中1 7月 ~ 高3 卒業
<成績の変化>
(中学校) 160点 → 230点
(高校) 19/20番 → 4/20番
<進学先>
氷見高校
中京学院短期大学
<指導内容>
英語は30点ほど、数学にいたっては10点ほどしか取れず、
そもそも勉強自体が大嫌いな様子だった。
初回授業を含めた3回は家庭教師の話を聞いてくれていた。
しかし、4回目からは机に座ることがままならなくなり、
授業は全く成立しなかった。
中1の途中に一度、また中2の初期にも一度、私の方から保護者に対して
「成績向上につなげる自信がないため指導の辞退」を伝えた。
ただ、保護者と相談したうえで、指導を継続することになった。
保護者から「雑談をしていても構わない」との了承をもらったうえで、
しばらくは本当に雑談メインの授業を行っていた。
変化が見られ始めたのは2年生の終わり頃であり、
その頃になると、少しずつ私の意見を受け入れてくれるようになっていた。
数学だけは頑なに勉強しようとしなかったが、
社会と理科の問題を少しずつ解いてくれるようになった。
さらに3年生になると、学校の方針で数学の授業がレベル別に行われるようになり、
そのころからようやく私の授業でも
「正負の計算」といった、数学の基本的な事項を指導できるようになった。
すでに受験まで1年を切っていたうえに、未学習のことが膨大にあった。
そのため、3年生の間はひたすら入試問題を解くことに特化し、
学校の定期テストには力を入れなかった。
通知表の評定合計は「21」ほどであり、実力テストの成績が安定しなかったうえに、
志望校である氷見高校の当年の倍率が1.75倍だった。
正直かなり厳しい状況だったものの、無事合格した。
また、進学校ではない場合はやや珍しいが、
保護者は子供の留年等を心配したため、高校でも引き続き指導することになった。
1年1~2学期こそ高校受験の反動で遊んでいる時間が多かったものの、
3学期から徐々に勉強するようになってくれた。
クラス20人の中、
「1年末には15番、2年末には7番、3年末には4番」
といった成績だった。
中学時代には、高校卒業後に就職することだけを考えていた。
しかし、高校3年生になった頃に、自らの意思で進学を強く希望するようになった。
評定平均が基準を超えていたため、学校推薦を出してもらえることになり、
11月に中京学院短期大学を推薦で受験し、無事合格した。
<感想>
指導当初は保護者の期待に応えることができず、
指導する側としては精神的に厳しい状態が続いていました。
当時はまだ指導経験が浅く、手さぐり状態で指導方法を模索していました。
結果的にうまくいって良かったと思っています。
成績がふるわなかった時期は、父親との衝突が多くありました。
しかし、本人のやる気が目に見えるものになるにつれて
その回数は減少していきました。
「家庭内の雰囲気が和らぎ、生徒本人が勉強に集中できる」
という、勉強の調子が好循環になっていく好例だと思います。
中学時代と比べて、
高校では自信を持って学校生活を送っていて、精神的にも大きく成長したと思います。
今後も自立した大人になることを目指して、頑張っていって欲しいと思います。
④Hさん
<指導前の状況>
東北大学進学を希望していて「数学・化学・生物」は合格レベルだった。
ただ、英語は苦手としていて、合格を不安視していた。
入試が迫ってきていたため、家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
高3 7月 ~ 高3 卒業
<成績の変化>
センター国語 100点 → 140点
センター英語 100点 → 150点
<進学先>
東北大学
<指導内容>
英語以外の教科は合格レベルの学力を有していたため、英語の強化だけに専念できた。
当初は高1レベルの英語力で基礎基本の理解が不十分だったため、
夏休み中にひたすら基礎の強化に努めた。
そして基礎を確立した後は、読解力の向上を目指した。
英語の読解力の向上には、現代文の読解力が必要になってくるため、
英語と並行して国語力の向上にも努めた。
センター本番は実力通りの結果となり合計点数は720点だった。
志望校は東北大学一本で迷いがなく、
予備校による判定がC判定の状況で受験し、無事合格した。
<感想>
本人よると、東北大学への進学希望は1年生の頃から持っていたようです。
理系教科は2次試験でも十分通用するレベルだったので、
残りは英語を強化するだけであり、指導方針がはっきりしていました。
見た目は大人しくもやる気は人一倍ある子で、
生徒から次の課題を積極的に要求する姿が印象的でした。
⑤Yくん
<指導前の状況>
推薦で高岡高校探究科に入学していた。
3つ年上の姉が砺波高校の勉強で苦労したという親の経験があったため、
高校の勉強についていけるよう家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
高1 4月 ~ 高3 卒業
<成績の変化>
200/280番 → 50/280番
<進学先>
筑波大学 → 京都大学
<指導内容>
保護者と本人は特定の指導を希望しなかったため、
本人とのやりとりを通じながら、私の方で自由に指導方針を組み立てた。
1年1学期は200/280という番数だった。
そこから、数学・理科を中心に学習していく目標をたて、それを着実に実践していった。
その結果、「1年生末に140番、2年生末に100番」になった。
社会はほとんど勉強せず、3年生の夏休みに勉強する方針を採用した。
その代わり、理系教科の学習に力を注いだ。
3年生になると英語の学習を本格的に始め、
夏休み中は「理科の2次レベル問題、社会、英語」に特化して勉強してもらった。
本人は3年当初も全く考えていなかったが、
学力が安定的に上昇していたため、
3年生の夏休みごろに京都大学の受験を軽く提案してみた(その時点での志望校は筑波大学)。
11月からのセンター試験対策も功を奏し、
センター試験本番で自己ベストとなる760点をとる。
予備校の判定は、筑波大学はA判定であり、京都大学はC判定だった。
どちらを受験するかで本人はとても悩み、両親の意見が分かれていたため、
決断したのは国立出願期限ギリギリだった。
総合的に考えた結果、筑波大学を受験することにした。
学力は十分合格レベルに達していると思われていたが、
入試本番の物理で自身初の失敗をしたうえに、
受験倍率が3倍以上もあったため、後期試験の受験を覚悟する。
しかし、センター試験が高得点であったこともあって、無事合格した。
さらに、筑波大学に入学後、京都大学で学びたい気持ちがどんどん強くなったため、
筑波大学でしっかりと単位を取りながら、大学受験の勉強を継続する。
そして見事、京都大学に合格した。
<感想>
高岡高校の勉強はついていくのが大変です。
ただ、本人は高校の勉強のペースに無理について行こうとせず、
自分のペースで勉強できていました。
1、2年生の時も着実に勉強していたうえに、
3年生になるとギアが1段も2段もあがり、
月ごとに与えた課題をきちんとやり遂げてくれていました。
3年生の時の成長については、本人自身も驚いたと思います。
大学では、自分の専門科目に加えて、
「会計学」「語学」「コンピュータスキル」を習得するようアドバイスしました。
やりがいのある仕事についても話をしたので、
大学生になってからも、目的意識を持って勉学に励んで欲しいと思っています。
⑥Yさん
<指導前の状況>
数学の勉強に苦労していた。
近所に自分に合う塾が無かったため、家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
中2 4月 ~ 中3 卒業
<成績の変化>
270点 → 330点
<進学先>
高岡工芸(デザイン科)
<指導内容>
国語と社会の勉強は自分である程度できていたため、数学の勉強を中心に授業することにした。
数学が苦手な子にはよくあることだが、
計算はできるのに、文章題になると解けなくなっていた。
このような場合は、小学校の時の文章題を解けないことが原因であるため、
小学校時の問題(速さ、割合、図形の問題など)も復習してもらいながら学習を進めた。
順調に数学力を身につけていったものの、
2年生の3学期に友人とトラブルになり、
大きなストレスを抱えるようになってしまう。
言動を見ても元気な状態ではないことはすぐに分かり、
その悪影響は学校の成績にも出るようになった。
この時期は授業を緩やかに行い、まずは精神面の回復を優先させた。
担任の先生が積極的に問題解決に動いてくれたようであり、
3年生の夏休みごろには、元の元気な状態に戻ってくれた。
本人の志望校は、指導当初から高岡工芸デザイン科だった。
2月に推薦で受験するものの、ここでは合格できなかった。
しかし、学力は模試で合格レベルの判定が出るほどのものであったため、
当年は1.7倍の倍率ながら、無事合格した。
<感想>
家庭教師に依頼する場合は、保護者が主導する場合が多いです。
ただ、この子の場合は自分から希望していました。
小学生の時は勉強が得意ではなく悔しい思いをしていて、
中学生になってから、周りの友達を見返すぐらい頑張りたかったそうです。
事実、家では着実に勉強に励んでいて、
保護者は、本人の勉強に対する姿勢の変化を大いに認めていました。
女子の世界では誰もが一度は経験するという人間関係のトラブルがあり、
その時は大変でしたが、その壁も乗り越えてくれました。
その成長も非常にうれしく思っています。
⑦Tくん
<指導前の状況>
高岡高校に行きたいという本人の強い希望があったため、家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
中1 7月 ~ 中3 卒業
<成績の変化>
400点 → 450点
<進学先>
高岡高校
<指導内容>
中学校に入学した直後は
ワークの取り組み方といった勉強の要領が分からず困っていた。
中学校の勉強の仕方を指導した後は、
基礎学力が十分にあったこともあり、
問題なく学校の授業についていけていた。
このまま問題なく志望校に入学できると思われていた。
しかし、内申点の問題が出てきて、合格が非常に危ぶまれる状況になった。
本人は至って真面目な生徒であり、提出物を毎回きちんと出していた。
そして、定期テストは各教科90点前後の成績だった。
他の学校であれば、どの主要教科でも「5」がついてもおかしくなかった。
ただ、本人の学年は過去まれに見るほど勉強好きな人が多く、
なかなか通知表の成績を良くすることはできなかった。
3年2学期期末の通知表に至っては、主要5教科で「5」が1つもなく、
評定合計は「33」だった。
真面目な生徒ながらも活発に発言する性格ではなかったため、
通知表の成績向上は難しいと判断した。
その代わり、検定試験の取得に力をいれ、
「英検準2級、漢検3級、数検3級」を取得してもらった。
内申点の問題に加えて、実力テストの成績が安定しなかったこともあり、
どの学校を受験するかで家族は非常に悩むことになった。
最終的に、本人の非常に固い意志を保護者が尊重し、
私も独自の分析で合格が見込めると判断して、本人の高岡高校受験を後押しした。
最後の最後まで諦めずに努力した結果、無事合格できた。
<感想>
学校の先生は高岡高校を受験しないことを勧めていて、
家庭教師と意見が対立する形になってしまいました。
保護者にとっては、判断が非常に難しかったと思います。
受験決断の決め手は、ある意味当然のことですが、本人自身の強い意志です。
実際、願書提出後からの本人の勉強に対する集中力は
言葉では伝えられないほど凄まじいもので、
その姿勢からも合格の兆しが強く感じられました。
結果的に私もその頑張りの後押しをできてうれしく思います。
⑧Rくん
<指導前の状況>
小2の時に大病を患ったため、中2の1学期まで病院に入院していた。
病気は完治したものの、中学校の勉強は全く分からず、特別支援学級に在籍していた。
学校の先生は高岡養護学校(現:高岡支援学校)への進学を勧めた。
しかし、本人は
「今まで学べなかったことを学んでみたい」
「高卒の資格を取得したい」
と考えたため、家庭教師に依頼することになった。
<指導期間>
中2 8月 ~ 16歳 9月(約2年間)
<成績の変化>
かけ算九九があやふや、1kmが何mか知らない、小3以降の漢字が分からない
→ 四則演算・因数分解・関数・証明問題などが解ける、中学3年までに習う漢字が分かる
<進学先>
小矢部園芸高校
<指導内容>
長い間治療に専念していたせいで、
同年代の子が持ち合わせている知識をほとんど持っていなかった。
ただ、日常会話には全く支障が無かった。
受験までの時間を考えると全日制高校の受験は困難だったので、
筆記試験が国語と数学しかない、定時制高校に入学することを目標にした。
指導当初は「かけ算ができない、漢字をほとんど知らない」状態であり、
高校受験のための勉強を始めることはできなかった。
学習教科を国語と数学に絞った上で、
小学校の内容を一つずつ丁寧に学習していった。
週ごとに課題を提示し、それを着実にこなしていってくれた。
中3の夏休み前に小学校の勉強が一通り終わったため、
いよいよ高校受験に向けて中学数学の勉強を開始する。
難しい文章題は全く解かず、基本計算、基本事項の習得に力を入れた。
受験前には過去問で4割を取れるまでになった。
受験当年は定員割れをしており、作文・面接の練習も十分に積んでいた。
しかし、小矢部園芸高校を受験した結果は、不合格だった。
これは完全に私のミスであり、
受験後の本人の感想で、国語の文章題を全く解けないことが判明する。
漢字をほぼ読めるようになり、日常会話に全く問題がなかったことで、
国語は大丈夫と判断してしまっていた。
その後の進路をどうするかで悩むことになった。
それでも、本人は小矢部園芸高校の入学を諦めず、9月にある後期試験の受験を決断する。
国語の文章題の練習を積み、さらに、
「藤原道長、徳川家康、酸性ならリトマス紙は赤くなる、二酸化炭素は石灰水を白くにごらせる」
といった小学校で学ぶ、社会・理科の勉強も並行して行った。
合格のボーダーラインが分からなくて不安だったが、無事合格した。
<感想>
指導当初の学力と受験までの時間を考えた時には、
正直志望校に合格できるとまでは思いませんでした。
合格が決まった時には、本人、保護者、学校の先生も非常に驚いていました。
限られた時間の中で順調に成長できたのは、
「勉強したい!」という本人の強い思いと、教師が提示した勉強のやり方が
うまくかみ合ったからだと思います。
このような生徒を指導したのは初めてでしたが、
「目標を叶えること」と「勉強を始めるのがいつか」ということは
全く関係がないと、私も実感させられました。