指導例紹介
これまでに指導してきた生徒が、どのようにして成長したのかをご紹介します。
指導前の生徒の状況は様々であり、絶対的に正しい指導を見つけることは困難です。
そんな中でも、これまでの指導経験を活かして最適だと思うやり方を提案してきました。
これからもその子に合った、効果的な指導を心がけていきます。
*写真は、ご家庭の了承をいただいたもののみ掲載しています
①Aさん
<在籍高校>
高岡南高校
<依頼理由>
高1の1学期後半から学校の授業が分からなくなり
番数が半分以下の110/200番になってしまった。
このまま成績が下がり続けてしまうことを本人と保護者が心配したため、
知人からの紹介で、私が指導することになった。
<指導期間>
高1 7月 ~ 高3 卒業
<指導成果>
苦手だった数学が分かる!
進学校の勉強方法が分かる!
番数50/200!
センター600点!
<進学先>
富山大学 経済学部 経営法学科
<指導内容>
中学生の時から数学を苦手としていたため、
2次関数を学び始めたころから、徐々に数学が分からなくなっていった。
また、学校から課される予習と課題がこなせなくなり、
高校の勉強をどのように進めればいいか分からなくなっていた。
数学に関しては、
教科書や参考書には書いていない高校数学独特の考え方を指導し、
やり方を覚えるのではなく、「なぜそのやり方をするのか」という指導を中心に行った。
基礎学力はあったので、高校数学の考え方を理解した後は
自らの力で数学の勉強を進められるようになった。
その結果、文系に進みながらも、数学は学年上位の成績を取れるまでに成長した。
また、予習と課題に忙殺され、復習できない状況だったので、
復習中心の勉強に転換するために、予習と課題のさばき方を指導した。
中学生の時のように復習する時間を取れるようになってからは、
数学以外の教科でも成果が出るようになり、
3年時には50番ほどの順位までになった。
金沢大学の受験も視野に入れていたものの、
センター本番の点数は600点であり、想定していた点数を取ることはできなかった。
しかし、富山大学B判定が出る点数ではあったため、
志望していた法学部系の富山大学経済学部経営法学科を受験し、無事合格した。
<感想>
真面目な性格であったため、本人は一生懸命に学校課題に取り組んでいました。
しかし、そのせいで復習する時間が取れなくなっていることに気づけず、
なぜ自分の成績が落ちてしまったのかが分からない様子でした。
また、「授業が分からない」ということが中学まで無かったため、
高校になってから初めて経験したこの問題に対して
どのように対処すればいいのか分からなかったようです。
これらの問題に対応できるようになってからは、
過度な不安を感じることが無くなり、自分のペースで勉強できるようになれたと思います。
大学へ進んでからも、自分の力だけでは解決が難しい壁にぶつかった時は、
他者からのアドバイスを参考にして、うまくその壁を乗り越えていってほしいと思います。
②Wさん
<在籍高校>
福岡高校
<依頼理由>
臨床検査技師になりたいという明確な目標があり
新潟大学医学部保健学科を志望していた。
ところが、高2になってから勉強に対するモチベーションは急激に落ちてしまった。
成績は徐々に低下していき、3年1学期には40/120番ほどの番数だった。
自力での合格はできないと思ったため、
知人からの紹介で、私が指導することになった。
<指導期間>
高3 5月 ~ 高3 卒業
<指導成果>
数・英・物・化の点数が大きく上昇!
番数10/120!
センター624点!
<進学先>
群馬大学 医学部 保健学科 検査技術専攻
<指導内容>
理系大学受験のために必要な、数学・英語・物理・化学のどの教科も、
最低限の学力は備えつつも、目標としている大学の水準からはほど遠く、
合格が非常に困難な状況だった。
今までは学校から指定された教材のみを使って勉強していた。
ただ、それでは目標としている大学への合格は困難であると判断して、
外部教材の活用を積極的に勧めた。
外部教材を活用するようになってからは、
基礎学力があったこともあり、成績が急激に上昇していき、
校内番数は10/120番になり、マークテストでは670点を取れるまでになった。
学力は十分に備わっていると思われていたものの、
残念ながらセンター本番の結果は624点であり、
センターの点数が重視される新潟大学の合格は見込めない状況になってしまった。
しかし、群馬大学B判定は出ていたため、こちらに出願することにした。
記述模試の成績は毎回良く、
さらに、群馬大学の出願を決めた後は、今まで以上に勉強に取り組んでいた。
学校の先生も群馬大学の出願には太鼓判を押してくれたため、
後は自信を持って2次試験に臨むだけとなるはずだった。
ところが、願書提出後に合格が危ぶまれる事態になった。
ちょうど看護学部人気が続いていたうえに、
前年前期の実質倍率が2倍を切っていた反動が起こり、
当年前期の志願倍率が5倍、後期の志願倍率が12倍を超えてしまった。
相当なプレッシャーにさらされながら必死に勉強したものの、
前期試験の合格発表時には、自分の受験番号は載っていなかった。
後期試験はさらにハードルが上がるため、
半分開き直りつつも、それでも合格を諦めず、最後の最後まで真剣に勉強に取り組んだ。
しかし、後期試験でも希望は叶わなった。
本人、家族ともに落ち込まざるを得なかったが、
気持ちを切り替え、合格が出ていた私大の看護学部に入学することを決断する。
ちょうど私大に授業料を振り込もうとしていた矢先の3月下旬に、
群馬大学から追加合格の連絡を受ける。
即断で入学の意思を伝え、群馬大学へ進学できることになった。
<感想>
出会った時から勉強のことに加えて、
好きな漫画・ジャニーズ・アーティストのことなどを話してくれており、
私とのコミュニケーションに全く支障はありませんでした。
そういう状況だったので、指導を開始して3カ月ほど経ったころに、
保護者から「実は、親と娘の会話が高2なってからほとんど無い」
という話を聞いた時にはとても驚きました。
親子の会話が無くなったタイミングと
学力が低下し始めたタイミングが重なるため、
本人の心の不安定な面が、
家族とのコミュニケーションの面や
学力面に悪影響を与えてしまったのだと思います。
なぜ親と話さなくなったのかということについて、
こちらから話を聞くことはありませんでしたし、
精神的に不安定になってしまった原因は、結局分からずじまいでした。
ただ、精神面でも成長段階にある中学生・高校生の時期に
様々な要因で心が不安定になってしまう可能性は、
誰もがもっているものです。
そうした中で、自分なりに心の整理をつけ、
再び勉強に集中できるようになったことは、
本人の精神面の成長がよく分かる出来事でした。
その成長もとてもうれしく思っています。
③Nさん
<在籍高校>
福岡高校
<依頼理由>
志望大学は決まっていたものの、
思うように成績を伸ばすことができず
受験に向けてどう勉強すればいいのか分からなかった。
校内番数は50/120、模試の結果はD判定以下だったので、
このままでは合格できないと考え、私に連絡することになった。
<指導期間>
高3 7月 ~ 高3 卒業
<指導成果>
大学受験に向けた勉強方法が分かる!
自分で考えて勉強できるようになる!
小論文が書ける!
センター(国・英・世)73%!
<進学先>
群馬県立女子大学 文学部 美学美術史科
<指導内容>
将来は学術系の分野を支援する仕事に携わりたいと考えていて、
国立であれば東京学芸大学、公立であれば群馬県立女子大学が志望校だった。
指導を開始した時点では、
古典・英語の学力はムラがあり、
数学・世界史にいたっては、平均を大きく下回る状況だった。
夏休みがもうすぐ始まってしまうこの状況から、
全科目を勉強することは困難であると判断した。
そこで、まずは公立大学の受験科目を優先して勉強し、
余力があれば国立大学の受験科目を勉強するという方針をとる。
群馬県立女子大学は公立大学の中ではかなり珍しく、
前期試験のセンター入試科目が3つしか必要ない大学だった。
そのため「国語・英語・世界史」を重点的に勉強した。
本人には相当覚悟がいることだったと思うが、
夏休み中には学校の課題を全くやらなかった。
その代わり、以前に学校から配られた教材や外部教材を活用して、
自分が苦手としている内容を、1つずつ丁寧に解消していった。
復習重視の勉強だったため、
厳選した問題集を、内容が定着するまで何度も何度も解き直した。
本人の並外れた努力の甲斐もあって、
9~11月のマーク模試では、
国語・英語140~150点、世界史70~75点を安定的にとれるまでに成長した。
11月からは公民・理科・数学の勉強を始め、
東京学芸大学の受験も視野に入れた状況で、センター試験に臨む。
勉強が間に合わなかった公民・数学の点数はやはり厳しいものだった。
しかし、国語・英語・世界史の3教科合計では73%をきっちり取りきり、
目標としていた群馬県立女子大学B判定を確保した。
センター試験後には小論文の勉強に取り組み、
できる限りのことをやったこともあって、無事合格した。
<感想>
本人は、3年1学期まで学校から出された課題をしっかりやり、
提出が遅れることは一度もありませんでした。
そういう人だったので、
「夏休み中の学校課題を全くやらない」という決断をするには
相当の覚悟が必要だったと思います。
ここまで大きい決断を促した以上、成果が伴わなければ私の責任は免れないため、
私としても不安が無いわけではありませんでした。
それでもこの決断を促した理由は、
「本人が課題の意味を考えないまま勉強している」と感じたからです。
学校の勉強に限ったことではなく、何事にもそれぞれの目的や意味があります。
言われたことをただやるだけでは、やっていることの目的や意味を見失い、
せっかく取り組んだものの結果は、効果的なものにはならないと思います。
さらに、取り組みに失敗した場合には、何をどう反省すればいいのか分からず、
その失敗を次に活かすことはできなくなってしまいます。
もちろん課題を期限内に出すことは大事なことです。
ただ、私はそれよりも、成長段階にある10代の時期には、
自らが考えて行動し、自立できるようになることの方が大事だと考えています。
実際、自分で考える勉強に慣れたきた秋ごろからは、
本人が考えた勉強方法や、自分で調べたみた教材を
逆に私に提案してくれるようになり、
そういった試行錯誤の積み重ねが、テストの点数向上という結果につながりました。
今後も、自ら考えることを大事にして、物事に取り組んでいってほしいと思います。
④Kくん
<在籍高校>
福岡高校
<依頼理由>
中学生のころから数学が苦手だったため、
高校の数学が分かるかどうか不安だった。
そんな中で、たまたま看板・ホームページを見たことがきっかけで
当塾に興味を持ち、私が指導することになった。
<指導期間>
高1 5月 ~ 高3 卒業
<指導成果>
進学校の勉強方法が分かる!
二次試験数学を解けるようになる!
高1 1学期 100/120番 → 高3 全統プレ 文系1番!
<進学先>
金沢大学 人間社会学域 法学類
<指導内容>
本人・保護者ともに国公立大学への進学を希望していたものの、
高校1年生1学期の番数は100/120ほどであり、
このままでは到底合格は望めなかった。
いきなり成績を上げることは難しいため、
目の前の課題を1つ1つ明確にして、それらを着実に克服し、
少しずつ成績を上げていくことを目標にした。
真面目な生徒であったため、
自分のペースで着実に勉強に励み、
高1の終わりには60番前後、高2の終わりには30番前後の成績を取れるまでに成長した。
そして、入塾当初は「行けるのであれば、富山大学に行きたい」という希望を持っていたが、
高3の4月には「金沢大学に行ってみたい!」という希望を強く持つようになった。
当初は富山大学経済学部という目標に合わせて、
苦手科目の数学と、二次試験科目の英語を分かるようになることを意識して指導していた。
ただ、金沢大学を受験するとなると、
共通テストの合計点を上げることはもちろんのこと、
二次試験科目に「国語」「数学」「英語」の3科目を課されるため、
こちらも指導内容を修正し、第一志望合格に向けて全力でサポートした。
部活を引退してからの猛烈な追い込みがあったこともあり、
成績は右肩上がりで上昇を続け、全統プレで文系1番を取れるまでに成長した。
もともと苦手だった数学は、受験前には、
校内1桁番数、二次試験の記述問題を解けるまでになっていて、
希望通り金沢大学人間社会学域法学類を受験し、無事合格した。
<感想>
本人が所属していた部活には成績上位者が多くいたようであり、
そういった人たちは遠い世界にいる人たちと思っていたようでした。
しかし、自分の成績が少しずつ上昇するにつれて、
「遠い世界にいる人」は「目標とすべき人」へと変わり、
お互いに刺激しあいながら、成績を上げていったようです。
また、学年下位の成績から始まり、最終的には学年1位をとったことによって、
希望する大学へ進学できただけではなく、
「今までできなかったことを、できるようになれた」
という貴重な経験も積めたと思います。
この経験を10代で積めたことには大変価値があるので、
ぜひ今後の様々なことにも活かしていってもらいたいと思います。
⑤Tさん
<在籍高校>
大門高校
<依頼理由>
小学生の時から勉強が苦手で、
中1になってから塾に通うようになったものの、
成績が上がらず悩んでいた。
転塾を考えていたところでたまたま当塾の存在を知り、
私が指導することになった。
<指導期間>
中1 3月 ~ 高3 卒業
<指導成果>
・中学生
点数 251点 → 416点
番数 72/97 → 18/97
評定 26 → 35
漢検3級合格! 英検3級合格!
勉強のやり方が分かる!
・高校生
現代文・数学が分かる!
志望校に合わせた勉強方法が分かる!
<進学先>
大門高校
富山県立大学 看護学部 看護学科
<指導内容>
勉強を分かるようになりたいという気持ちがありながらも、
自宅学習をどのように進めればいいのか分かっていなかった。
そのため、まずは勉強の基本的なやり方を指導したところ、
中2の1学期の中間テストで
いきなり112点UPの363点、番数35となり、
本人の努力がきちんと結果に反映されるようになった。
勉強のやり方を理解した後は、
各教科の理解を深める指導に移行し、
その時点の本人の学力に合わせて丁寧に指導していった。
本人の尋常ではない努力の甲斐もあって、学力は着実に上がっていった。
入塾当初はいずれかの県立高校に合格することが目標だったが、
中2の時に見たドラマがきっかけで助産師に憧れを抱き、
大学を卒業して看護師になるため、
地元進学校の福岡高校へ行く目標を持つようになった。
しかし、定期テストの成績は良いものの、
中1の勉強が分かっていなかったことに加えて、
小学生の時に身につけるべき知識・理解が不足していたこともあり、
県立高校入試日までに
実力テストの成績を福岡高校に合格できるレベルにすることはできなかった。
「福岡高校に合格できなければ、国公立大学の看護学部に合格できない」と
本人は思っていたようだが、
在籍する高校で大学が決まるわけではないことを説明し、
模試で合格レベルの判定が出ていた大門高校を受験し、無事合格した。
高校の勉強は中学生の時とは比べものにならないほど大変だが、
「看護師になりたい!」という明確な目標と
「やればできる!」という中学時代の経験が支えとなって、
高校生になってからも強い気持ちを持って3年間勉強に打ち込んだ。
そして、目標としていた富山県立大学看護学部を受験し、無事合格した。
<感想>
成績が上がっている人は、誰もが相応の努力をしています。
他者からは「成績が上がった結果」しか見えませんが、
その結果に至るまでには、
その人にしか分からない「努力の過程」があります。
この子の場合も、言葉では表現できないほどの「努力の過程」があり、
本人自身の努力が無ければ、「合格という結果」は得られませんでした。
結果だけではなく、そこに至るまでの過程も十二分に評価されていいと思います。
人格・熱意ともに看護師になるにふさわしいものを持っているので、
今後も努力を忘れず、大学へ進学してからも勉強に励んでほしいと思います。
⑥Aくん
<在籍高校>
高岡第一高校 特進コース
<依頼理由>
高校入試で志望校に合格することはできなかったものの、
勉強とともに頑張ってきた野球で結果を出すため
高岡第一高校に入学することにしていた。
甲子園に行くという目標を本気で持ちつつ、
それでも勉強のことを諦めることができなかったため、
自分に合う家庭教師・塾を探していたところ、
たまたまホームページを見つけたことが縁で、
私が指導することになった。
<指導期間>
高1 4月 ~ 浪人1年目
<指導成果>
強豪野球部エースPと勉学を両立できる!
校内番数1番!
センター(現数英日)89%!
高岡第一高校から6年ぶりに慶應合格!
<進学先>
慶應義塾大学 法学部 法律学科
<指導内容>
中学生のころからリトルシニアに所属し、
野球には人並みならぬ情熱を注いでいた。
高岡第一高校を受験した理由の1つに
新たに村本監督が指揮をとる予定だったことが挙げられるほどだったので、
高校でも野球を続けることは絶対条件だった。
そんな中で、初めての面談の際に、
「慶應義塾大学に行きたい!」というはっきりとした希望を伝えられたため、
数学受験が可能で比較的倍率が低い
慶應義塾大学商学部(A方式)を志望校にすえた。
7時過ぎに家を出発し、野球部の練習が終わって家に帰ると21時前になるという
非常にハードな生活であり、自宅学習の時間は1~2時間を確保するのが精一杯だった。
その限られた時間の中で勉強の成果を出すため、
膨大な暗記が必要となる日本史の勉強は後回しとし、
英語・数学の基本事項と、数学の応用問題を重点的に勉強する方針をとる。
自分でも勉強時間が確保できないことを理解していたため、
その分、学校の授業を集中して受け、
通学時間や授業と授業の空き時間に英単語の勉強をするなど、
自らの置かれた環境の中で成果を出すための工夫を、自分で考えて実践していた。
私の授業や勉強に対するアドバイスを的確に理解してくれたため、
外部模試で度々1番をとるなど、その努力は目に見える形で現れていた。
野球でも絶対に結果を出すと決めていたため、
部活で手を抜くことは一切なく、
他コースに在籍していた仲間から認められるほど、真剣に練習に取り組んでいた。
その甲斐もあって、エースピッチャーを任されるまでに成長し、
本気で甲子園出場を目指していた。
残念ながら3年生の夏の大会ではベスト4で敗退してしまったものの、
その悔しさを勉強にぶつけるように、8月から勉強に全力投球する。
基礎学力がついていたことと、部活で鍛えられた強靭な精神力・体力があったこともあり、
一日10時間以上の勉強を弱音を吐くことなく続け、学力は急激に上昇していった。
点数と偏差値は右肩上がりに上昇していった。
それでも、慶應義塾大学の模試の判定はC判定を一度も出せず、D判定を出すのが精一杯だった。
現役での合格を必死で目指したが、合格発表時に自分の受験番号は無かった。
さすがに合格発表があった日だけは、一日中ベッドで寝ることしかできなかった。
しかし、その翌日からすぐに気持ちを切り替えて、再び勉強に取り組んだ。
浪人生活が本格的に始まって間もない5月には、
マーク模試で英語190点、数学180点、日本史90点を取れるレベルに達していたため、
慶應義塾大学商学部は合格の見込みがたったと判断し、
併願で法学部を受験することを視野に入れることにした。
夏休み後半から取り組んだ小論文の勉強でも、着実にその成果を出していき、
模試の判定に気を許すことは一切なく、最後の最後まで必死に勉強に取り組んだ。
そして2度目の受験では、商学部に加え、見事、慶應義塾大学法学部に合格した。
<感想>
これまでも、勉強が得意な生徒や本当に苦手な生徒、そしてそれらの家族と、
幅広い人と関わってきているため、
受験の結果だけがその子の将来を決め、
ましてや、その結果は誰かの人間性を表すものになるなどとは、
一度も思ったことはありません。
それでも、1度目の受験が不合格に終わった後に保護者から届いた
「高校入試もダメ。大学入試もダメ。この子はどれだけ頑張っても報われないのではないか。
そして、そうなってしまった原因は、親の教育が悪かったせいではないか。」
という言葉は、私の心に重く響きました。
おそらく子供自身は、親がプレッシャーを感じ、自責の念を抱えていることを、
それとなく分かっていたと思います。
そのような中でも、誰が見ても分かるほどの努力を重ね、
その努力を形で示したことは、十分に評価されていいことです。
大学進学後も様々な壁にぶつかることになると思いますが、
勉強で培った知識と思考力、部活で鍛えた体力と精神力を最大限に駆使して、
その壁を一つずつ乗り越えていって欲しいと願っています。